なで犬

安産祈願・子孫繁栄・健康成長
一、子宝を願う方→親犬と自分の干支の子犬
一、安産を願う方→親犬と生まれてくる年の干支の子犬
一、子供の成長と健康を願う方→子供の生まれ年の干支の子犬
一、子供の平癒、健康、長寿を願う方→自分の干支の子犬
それぞれやさしく、願いをこめてなでて下さい。

二の鳥居

一の鳥居と拝殿の中間に、石製の二の鳥居が荘厳に建っています。
一の鳥居同様「神明鳥居」で、昭和四十六年、それまでの木製の鳥居が老朽化したのを受けて建替えられました。
尚、二の鳥居から先は車の進入は許されず、徒歩にて拝殿まで進みます。

《一の鳥居》
参道の入り口には、石製の一の鳥居が高くそびえます。
伊勢に縁の「神明鳥居」で、昭和十五年、皇紀二千六百年を記念して建てられました。それ以前は木製の鳥居でしたが老朽化が進んだため、この年記念事業として建替えられました。

参道

二の鳥居から拝殿までの参道には紅白の梅が植えられ、節分を過ぎた頃から花がほころび始めます。
野鳥や小動物も生息し、ウグイス・メジロ・シマリスなどがよく見受けられます。
また、参道には「御神木」の「楠木」が空高くそびえ、参拝者の注目を集めます。

大手水舎





神楽殿(神輿庫)

昭和四十九年の本殿屋根改修事業に併せて改築されました。
神輿二基と、御神宝を収蔵しています。
過去数回にわたり、御神宝が盗難の被害にあったため、現在は重要な御神宝は別の場所に厳重に保管し、神輿渡御に用いる御神宝を中心に保管しています。

拝殿

間口六間・奥行四間の拝殿は、本殿同様火災のため焼失し明治三十四年に建てられた「入母屋造」で、向拝殿は「千鳥破風」になっています。
拝殿内は、畳が敷かれ祭典はすべて座礼にて執り行われます。
本殿側に祝詞殿・幣殿を有し、本殿をうやうやしく拝します。
本殿同様に消失前の基礎をそのまま用い建てられました。

愛宕神社

御祭神 :火之迦具土神(ほのかぐつちのかみ)
御神徳 :火伏せ(鎮火)・盗難除け・家内安全

京都府嵯峨にある愛宕神社の若宮に火之迦具土神という火の神様をお祭りするところから、火の信仰が生まれたと言われます。人が生活するうえで、「火」は非常に重要で、上手に使わなければ大きな災害をもたらします。そこで、火の神が暴れないよう、火伏せを願うようになりました。この愛宕信仰は、「講」という組織を形成し日本全国に広がり、修験者によって各地(主に見晴らしの良い所)に愛宕神社は建てられました。
大神宮の境内にも小さな祠に火之迦具土神を祭っていましたが、昭和58年10月、社を建て「愛宕神社」として現在に至ります。
火伏せの神ということで、(火)難を防ぐ神様から盗難を防ぐ神様、ひいては家内安全につながる神様として信仰を集め、数多くの方が家内安全を願いお参りしています。

晴嵐神社

御祭神 :大己貴神(おおなむちのかみ)
御神徳 :病気平癒・身体健全

出雲の神様で知られる「大国主神」は様々な名前を持っています。「大己貴神」もその一つです。晴嵐神社はその「大己貴神」を御祭神としています。
昭和の初期、大神宮のすぐそばに所在する「国立療養所 晴嵐荘病院」の小高い丘に「病気平癒・治療成就・医学の発展」を祈願し、「医学・薬学」の神様である「大己貴神」を御祭神として祠を建て祭ったのが始まりです。
晴嵐荘病院は日本初の国立療養所で、当時不治の病といわれた「結核専門」の療養所でした。終戦後、政教分離政策により、国立の施設内に神社の存在を認めることが出来ないという理由で、遷座せざるお得なくなり、職員・崇敬者の篤い要望により、大神宮末社として現在地に御鎮座となりました。
現在でも、病気に悩む方々の心の拠り所として、参拝される方が数多く、肺癌治療に臨んだ大神宮の職員も4ヶ月に亘る治療の効果が大いにあり、退院し神明奉仕に復帰するほど回復しました。

本殿

伊勢神宮内宮を模して建てられた本殿は、間口三間半・奥行二間の「神明造」です。屋根には直径約30cmの鰹木を10本有し、空高く千木が切られています。現在の本殿は、明治三十四年に建てられたもので、今から102年前に建てられました。
明治三十二年春、大神宮近隣の集落から火災が発生し、本殿まで火の手が及びました。かろうじて御神璽をお出ししましたが、罹災は免れず焼失してしまいました。
現在の本殿は、消失前の本殿の基礎をそのまま用い、以前と同じ大きさ・形で復元したものです。ちなみに、消失前の本殿は「徳川斉昭公」が国事多難の時期にもかかわらず、御造営されたものです。
昭和四十九年、それまで茅葺きであった屋根が傷んだため、銅版に葺き替える改修工事がおこなわれ、現在の姿になりました。

鎮守の森

神社といえば「鎮守の杜」。大神宮の周りにも鎮守の杜が広がります。
杜には樅の木・椎の木・松・朴の木・椿等が自生し、拝殿の周りには「紅葉」が植えられ、秋には見事な紅葉が参拝者の目を楽しませてくれます。社務所横には大小の桜もあり、春には春らしさを感じさせてくれます。
そのほか、杜の周りには防砂林として植林した松林が広がり、「鎮守の杜」の神聖さを益々醸しだしています。

《真砂山》
大神宮が御鎮座なる山を「真砂山」と呼びます。 山といっても正確には「砂丘」で、現在真砂山と呼ばれているのは昔の真砂山の一部にしか過ぎません。
昔の真砂山はかなり範囲が広く、東海村の海岸線一帯の砂丘の呼称であったようです。
砂丘のため地形の変化が激しく、砂嵐のため一晩にして「一ヶ村」が埋もれてしまったという伝説さえあります。現在は防砂林が砂の飛散を防ぎ、砂による被害もなくなりました。 きめが細かい白砂は、昔から「幸と富をよぶ神土」と崇められ、「真砂山」の美称となりました。

新社務所

社務を掌る社務所機能と、御祈願の方の参集殿の機能を兼ね備えた社務所は、平成九年に竣工しました。それまで授与所を兼ねた社務室が拝殿の手前にありましたが、境内整備事業の一環として、第一に社務所の建設を行いました。
「切妻寄棟造」の社務所は拝殿とのバランスを考慮してデザインされ、回廊形式で拝殿とつながっています。
社務を行う社務室には「授与所」を有し、少ない職員でも対応できるよう合理的になっています。
「参集殿」は、ゆったりとした広さと片側全面の窓で明るさも十分あり、テレビ・教化用ビデオ・教化用資料・給茶機を備え、待ち時間を有効にお使いいただけるようにしています。
拝殿入り口付近には、センサー式の手水があり、御祈願の直前にお清めをしていただけるようになっています。
社務所にはそのほかに、貴賓室・斎戒室・宮司室があり、全館冷暖房完備となっています。

旧社務所